神戸家庭裁判所 昭和36年(家イ)202号 審判 1961年6月27日
申立人 清田昌子(仮名)
相手方 黒川学(仮名)
主文
昭和三十六年三月十七日附神戸市生田区長宛届出にかかる申立人と相手方間の協議離婚が無効であることを確認する。
理由
本件における当事者双方の申立は、申立人において「相手方が昭和三十六年三月十七日神戸市生田区長に対し届出でた申立人との協議離婚は、申立人において離婚の意思がなく、知らない間に相手方が勝手に届け出でた無効のものであるから、その確認を求める」というのに対し、相手方は「相手方が申立人主張のような協議離婚届の手続をしたのは、申立人が同年二月四日相手方に対し離婚の意思を表明し、かつ、離婚届に必要な委任状の印鑑は子供に取りに来させればよいとの趣旨の置き手紙をなし、荷物をまとめて家を出て行つたからであつて、申立人自身協議離婚の意思のもとにその届出を委託し、又はこれを容認していたものである。従つて相手方の届出による申立人との協議離婚は有効に成立しているものであるから、本件申立は理由がない」というのである。
調停委員会は、昭和三十六年四月二十四日以来四回にわたり種々調停を試みたが、遂に当事者の合意が得られず調停は成立しなかつた。しかし、申立人は進んで審判による解決を求め、相手方も審判を受けることはやむを得ない旨述べた。
よつて判断するのに、協議離婚は届出のいる要式行為であり、単に夫婦双方に離婚の意思があるだけでは足りないとともに、又届出のときには双方の離婚意思が合致して存在することを必要とする。そこで本件についてこれを見るのに、当裁判所の取寄にかかる離婚届書原本及べ申立人提出の住民票謄本の各記載、当裁判所における当事者各本人審問の結果並びに本件調停手続における陳述の全趣旨を綜合すると、次の事実を認めることができる。すなわち
一 申立人は昭和三十六年二月初頃荷物を持つて相手方の家から出て行つたが、その荷物の内容は、夜具(掛ふとん、敷ふとん各二枚)と衣類(着物一枚、半オーバー一着と肌着類若干)に靴一足及び台所用具類若干(電熱器、鍋、フライパン、茶わん、湯呑各一個)であつて、半たんすや下駄箱、夏衣類等は残してあり、又主食の配給通帳や住民登録についても転出手続はとつていないこと
二 申立人と相手方との婚姻生活はすでに十五年に及び、その間長女良子(十三才)を頭に三男二女があるところ、これらに対する親権者の指定その他目前並びに将来における養育監護の方法については格別の協議がなされていないこと
三 申立人は一度家を出てから二、三日後さらに前記台所用具類を取りにおもむいたのであるが、その際相手方と激しい口論の末、相手方が外出した後で「離婚届の委任状は良子に取りに来させれば渡す」との趣旨を事き置いて帰つたこと
四 当時申立人は、およそ離婚届の手続については、自分で離婚届書に署名押印するか、又は届出者に委任状を交付しておくことが必要であると考えていたこと
五 申立人はその後実家に身を寄せたが、同所は相手方の家に近く、子供達とも会つていたので、相手方は何時でも申立人と連絡をとりうる状況にありながら、申立人に連絡せず、他から申立人用の印判を買い入れて離婚届に使用提出したこと
を認めることができる。これらの事実からすると、申立人が相手方のもとを去り、かつ、離婚届の委任状云々と書き置いたことは、当時申立人も一応相手方との離婚を考えたことは明らかであるが、それにはまだきめなければならない多くの重要な事項が残されているのであつて、それが尽されるまでは、申立人が離婚について確定した意思を持つていたものとは認めることができない。むしろ申立人は、相手方が真に申立人と離婚しようとするならば当然申立人が書き置いて来たとおり、「委任状」の押印を求めて来るものと考えるとともに、その事実があるまでは離婚届はなされないであろうと信じていたと認めるのが相当である。そして申立人の側におけるこのような意思は、申立人の相手方に対する前記認定の表示行為自体において、十分理解できるものであるにかかわらず、相手方は、これを申立人が直ちに離婚する意思であるように速断しただけでなく、申立人の署名押印を求めることはもちろん、通知もせずに、相手方だけで協議離婚の届出をしたのであるから、この届出は申立人の意思に基かないものであり、届出の当時合致していなければならない離婚意思が申立人には欠けていたということになる。そうすると申立人と相手方との協議離婚はまだ成立していなかつたわけであり、その意味において無効であるので、これが確認を求める本件調停の申立は理由がある。そして調停において合意は得られなかつたけれども、事案の性質上職権による解決を相当と認めるので、調停委員福島平蔵、同小野秀子の意見をきいたうえ、家事審判法第二十四条を適用して主文のとおり審判する。
(家事審判官 坂東治)